Aちゃんの保護者の声
森山先生にお世話になる前は、他の教室に通っていた。しかし、その教室には1年間通ったが、キラキラ星さえ弾けない状態だったので、我が子には適性がないと半ばあきらめていた。
1年であきらめるのも早すぎるように思ったので、他の教室も何カ所か見学させてもらっていたところ、森山先生に出会うことができた。
森山先生に子どもを習わせようと思った決め手は、子どもが使っているバイオリンでお手本を示されたことだ。その当時、子どもは1/10サイズのバイオリンを使っていたが、その小さなバイオリンで、びっくりする程綺麗な音で演奏されてお手本を示されたことを鮮明に記憶している。
自分の楽器から紡ぎ出される綺麗な音に子どもはびっくりし、自分でもそんな綺麗な音で弾けたらいいのに、と思ったらしい。また、子どもの手に掛かると「ギー」という不快な音が少なからず混じる安物の中国製のバイオリンから紡ぎ出される澄んだ音に私もびっくりした。
私は社会人になってからバイオリンを1年間習った経験がある。しかし、最近、強く意識するようになったのは、プロの耳と素人の耳は違うということだ。微妙な音程のズレや、リズムのズレを私は聞き分けることができないが、森山先生は、この音はもう少し低く、この音はもう少し高く、と音符単位で音の高低をアドバイスされる。いくら注意して聞いても、私にはそのような微妙な違いは残念ながら分からない。
また、あるテクニックを習得する際に、そのテクニックが、Aという動作とBという動作の2つが必要な場合、森山先生は、Aのみの練習と、Bのみの練習を分けて指導される。そして、両方が個別にできるようになった段階で、AとBの組み合わせを指導される。AとBを同時に行うことは難しくても、一方だけを練習することで、早く、確実に習得できると思う。特に、高度なテクニックの習得には効果が高いと思う。根本には、テクニックが習得できないのは才能が足りないからではなく、練習の仕方(教え方?)が良くないからという思想があるように思う。
それから、先生の教え方には、プロの同時通訳を育成する際に使用される、「シャドーイング」や「リピーティング」や「レシテーション」と同様な訓練が凝縮されているように思う。これらの訓練は模範となる音(ネーティブの声)を一時的に記憶し、それを自分の声で再現する訓練である。バイオリンの場合には、模範となる音(先生の演奏)を一時的に記憶し、それを自分の楽器で再現する訓練といえるだろう。そのような訓練により、模範となる正しい音が記憶され、また、記憶された音に限りなく近い音で弾くことができるようになるのではないか。
最近では、バイオリンに関しては、私は娘に完全に追い抜かれてしまった。もう、教えることはできないので、レッスンの際には邪魔にならないように目を閉じて黙っている。
しかし、子どもが奏でる音楽を聴くことができる生活は幸せだと思う。